結局自分が先取りしていたロールプレイ③・終

2018年にUOに復帰してみて驚いたのは、私が引退前に(勝手に)RPしていた爵位(称号)制度が正式に導入されていたことだ。

特定の街への貢献度に応じて市民ランクが上がり、それ相応の爵位・称号(公爵~市民)がもらえるというシステムで、街を歩いていても、伯爵だの騎士だの色んな称号や爵位を持ったプレイヤーがいた。

 

「ほう…時代がやっと私に追いついたか」

 

とは思わなかったが、私が少しだけ先取りしていたRP要素を偶然にも運営が導入したというだけの事実なのだが、私自身にとっては「貴族RPなんてものは、TRPG時代から連綿と続くごく普通のRPなんだよ」との思いを再確認出来た瞬間だった。

私が “ミノック男爵“ を名乗っていたころは完全な僭称・詐称の類であったが、今では正式に認められた爵位であるし、称号として周囲のプレイヤーに見せることが出来るようになったのだ。隔世の感を禁じ得ないとはこのことだろう。


結局何が言いたいのかというと、自分の常識と違うからと言って、先駆者を「うざい」だのなんだのと批判していても、時代が変われば先駆者がやっていたことが当たり前になっていることもある、ということだ。

今現在の常識にとらわれて想像力を失っている方には、私はRPGをプレイしないことをおすすめする。

TRPGのころは装備から魔法から、何から何まで「現物は目に見えない」のだから想像するしかない。時代は下ってコンピュータRPGの世になっても、初期は “ Muramasa Blade! ” と書かれていても、単なる文字の羅列であり外観は想像するしかなかった。

「足りないものは想像(創造)しろ」というのは、オールドRPGプレイヤーならごく当たり前に持っていたものであるし、「なければ自分(たち)で作ればいい」という画期的な考え方もあった。更に周囲がそれを受け入れる土壌もあった。


RPGをプレイする者は柔軟でクリエイティブで想像力が豊かであるべきだ。

足りないものは想像出来ないとおっしゃるのなら、足りないものを想像した者を非難しないで、受け入れていただきたい。

受け入れられないのなら、黙認していただきたい。

 

RPGというものはとことん懐の深いゲームなのだから。想像(創造)すればするだけ楽しくなり、プレイはより豊かになる。

UOにはその可能性は十分にあると思う。だから私は戻ってきたのだ。

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北斗の鍛冶屋首長
北斗の鍛冶屋首長
北斗・オールドヘイブン鍛冶場に居座っていた部族マスクの怪しい鍛冶屋。
鍛冶屋なのにシャドウガード、エクソダス、DOOM、ブラダン、MLボス、ハルドゥーン、コーガル、スカリスなど、金とレアのニオイがするところ必ず現れるというお騒がせ人間。

現在はブリテイン首長をやってます。

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